シンセサイザーやサンプリングといった、テクノやエレクトロニカを随分と食わず嫌いでいた。 ギターは6本の弦から伝わる人間性、ピアノは88の鍵盤から伝わる人間性だと思っているからだ。 頭の中で鳴る音を再現するためのセンスだけではなく、技術も問題だと思っている。 何かをマスターしようとすれば時間は掛かる。技術を身に付けようとすれば努力が伴う。 そうまでして鳴らしたい音なのだと、つい思ってしまう。 或いはマスターしないまま、初期衝動を大切にすることも愛情を感じる。 しかし電子楽器はセンスだけが問題になっていて、音を出したいという源泉が見あたらない気がしてならなかった。 それは油彩とCGの関係のようだ。
-どんなときに日本人だと
オシム氏 米を食べなくてはならないのが問題だ。ご飯。昔は食べ過ぎて、いまは食べられない」
-ご飯が好きですか
(同席したアシマ夫人が返答し)きょうは食べたわよね。わたしのメニューはいつも米と野菜。
-日本での暮らしを思い出すか
オシム氏 (脳梗塞<こうそく>で倒れた時)日本人は素晴らしかった。多くの日本人から手紙をもらった。うれしかったし、驚いた。感謝しなければならない。これがわたしの命を救った。家から遠い国でこういうことが起きると、なぜだろうと考える。そんなに外国人のことを心配してくれたのは、わたしが人生で何かに成功したということだろう。なぜかが分かっていなければならない。そうすれば、また繰り返すことができる。生き続ければ何が起きるか分からない。
2008.03.20 御堂筋

2008.03.20 御堂筋

本業をしっかりやりながらも、宝探しは続けるということです。本業をしっかりやりすぎて宝探しをしない、というのは、将来を見誤ります。それは結果的に会社としてもお客様にも迷惑をかけてしまうことになる。宝物は掘らなければ絶対に出てきませんから、掘り続けます。掘り続けていると、副産物も沢山でてきます。そこから将来を予想したり、本業の方向性を決定づけたりすることもできます
弱められた光はついに[ナノチューブの]森に完全に吸収されてしまう
twittermeigen:
tily
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周りに気を使って黙り込んで存在感なくすくらいなら、嫌われ者でも言いたい事言ってたほうがいい

前に、プレゼントをするのはうれしいって書いた。

一昨日、あるプレゼントに対するお返しをもらった。それは全然うれしくない。

多分その理由は、「お返し」というネーミングのせい。

この世の中から「お返し」という言葉がなくなればいいのだ。

ただ結局、他者の評価というのは、言葉だけのことで、理解ではない、ということに気づいてしまった。見てもらっても、彼らには作品に対する興味がないから、僕がした工夫がわからない。理解しようとしない。説明するのも面倒だ、と考えてしまう。理解してもらっても、特に嬉しいわけでもなく、技術が向上するわけでもない。
2008.03.20 八丈島のグレーな世界

2008.03.20 八丈島のグレーな世界

kojiroby:

新しい情報に対して最近の人はよく「知ってる、知ってる」って言いますよね。ちょっと聞きかじったくらいで、すぐ「知ってる、知ってる」。でも、何をどれくらい知っているのか。一方でコミュニケーションの仕事は、先ほど言ったとおり「わからせる」ことが目標ではないんです。投げられた情報をキャッチして「わかった」で終わらせない。どきどきさせたり、ときめかせたり、新しい探求心を生んだり、そこに行ってみようと思わせたり、ともかく忘れられなくさせる。要は「そのこと」を考え続けてしまうような状況をつくること、受け手の脳をさらに活発に運動させていくことが重要なんです。だから「知ってる、知ってる」と反応させて情報を既知化するんじゃなくて、未知化する。根源の方向に少し戻して、新鮮に見せていく方法があるのではないか、それがEX-FORMATION。「いかに知らないかをわからせる」というコミュニケーションです。

なぜデザインなのか。